繊細さんの幼少期~思春期。私の場合。

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こんにちは。

夏の終わりが近づいて、涼しさが心地いい今日この頃。

日が落ちるのが早いからなのか、この時期は少しさびしさもありますが、季節の移り変わりを、日本の四季を楽しみたいですね。

 

今日は、少し過去を振り返って記録に残したいと思います。

HSPは生まれ持った気質なので、ある時期に突然そんな現象が…というわけではなく、生まれた時からその気質を持ちながら生きてきたことになります。

なので気になっていました。
あの頃も、あの頃も、あの頃もか…と。

 

とはいえ、前回の投稿で少し触れましたが私は過去の記憶を多くは持っていません。

「あの時~だったよね~」「あんなことあったよね~」と昔の話が出ても、思い出せないことが多いです。

人よりも明らかに記憶が乏しいこの状況に気づいたのは数年前。

 

思い出そうとしてもその記憶にたどり着けないのでちょっと気持ち悪いのですが、生まれた時から写真をたくさん撮ってもらっていて、学生時代からは自分でよく撮っていたので、それが大切な記憶材料となっています。

たくさんの出会いや変わらない愛で私は存在し、愛されてきた記憶というのは心や魂で十分に感じ、受けとっています。

きっと、脳のどこかに細かな記憶たちが圧縮されて大切に保管されているのかもしれません。

 

少し脱線しました。

過去の記憶で覚えていることといえば、ほとんどがエピソードではなくその時の私の気持ちや雰囲気。ぽわーんと。

 

幼少期はニコニコおとなしく、人を困らせるようなことを(察して)しない子だったと聞きます。

察する力というのは、HSPの大きな特性です。

察しなくていいことまでキャッチしてしまうので疲れる…ということもありありなのですが、とにかく様々なことに非常に敏感です。

幼少期から、おつかれさまです。

その後は‟ちょっと愉快な子”になっていきました。人の笑った顔が好きなんですね。

 

中学生の頃はいじめがあったり、セクハラパワハラがあったり、とんでもなかったというこれもまた大まかな記憶。

特に友人関係のジメっとしたいざこざでずっと悩んでいたように思います。

じっくり思い出そうとするのにはエネルギーがいる時期です。

 

思春期というのはみんな色んなことに悩んでいて、苦悩に大きいも小さいもありません。

思春期×HSPの私も相当にしんどく、遺書のようなものを書いたこともありました。

この頃は特に、目の前の世界が全て。

苦しいことがあると真っ暗闇です。この先の未来は見えません。

今こうして生きていることに感謝です。

 

いい思い出としては、先輩たちがかっこよくて追っかけてたこと笑、友達の家でチャップリンを観たこと。その時の雰囲気をぽわーんと覚えています。

皆の笑っている顔も覚えてます。

 

いいことももちろんたくさんあったと思うのですが、とにかくしんどかった記憶が強いこの頃。

時間をつくり、写真を見ながらもっとあの頃に向き合う時間をつくりたいと思います。

 

高校時代は友人関係のストレスがパッとなくなり、いい仲間に囲まれていました。

本当に楽しかった、やんちゃでした。青春でした。

仲間たちの笑った顔、そしてやはりその時々の気持ちや雰囲気を思い出します。

こんなことがあった…というエピソード的な記憶は、写真を見て記憶・思い出として味わっています。

 

授業中の気持ちとか、みんなで過ごしてる時の気持ちを何となく覚えています。

当時悩んでいたことは具体的には覚えていないのですが、どこか自分ではないような、ちょっと無理しているような、何かを恐れているような…そんな漠然とした感じも少なからずあったように思います。

まだ思春期なので、みんなそんな感じだったのでしょうか。

現実と心の不一致だったり、自分自身と近いようで遠いような…

 

そうした状態はこの後も続きます。

でも人生を振り返る時、高校時代はキラキラで本当に楽しかったの一言。

第一志望校ではありませんでしたが、本当に人生は分かりません。みんなに出会えたこと、共に過ごせたことに心から感謝しています。

 

細かに振り返るつもりでしたが、この大まかさ。。

しかし自分がHSPの気質をもって一生懸命生きてきたということを改めて実感しました。

お付き合いいただいた方々、ありがとうございます。

 

その後は専門学校に行き→社会に出て適職・天職を探す旅(またの名を挫折)を繰り返し→長年の雇われ仕事を辞めて→HSPと知り→今に至ります。ざっくり。

社会に出て、それはそれはもがきます。容赦ない旅路。
長くなりそうなので続きは次回へ。

 

読んでいただきありがとうございました。